PABECHANVIK’s diary

フランス在住、4つ脚と2本足のママン。愛犬、国際結婚、子育て、旅行など豪華なおパリじゃないおフランスから自由気ままに....

823年に一度の12月??

12月になりました。

 

ここリヨンでもマルシェ・ドゥ・ノエル、クリスマス市が始まりました。
デパートや道のライトアップもこの季節ならでは。

 

リヨンではLA FETE DES LUMIERES、光の祭典と呼ばれるお祭りが
12月8日を挟んだ4日間行われます。
ヨーロッパを中心に世界中から400万人の観光客が来るイベントです。

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建物、噴水、観覧車などにプロジェクターで映像が流れます。ただのライトアップだけじゃないのが魅力。

ただ、2015年にパリで起こったテロの際、その年は中止され

(兄家族がこの為に来仏していたのに😭)

翌年は規模が大幅に減り厳しい警備の中行われました。

ふらっと歩きながら色々見たり、アニメーションで遊んだりできるのが

良かったのにとても残念..... 

少しずつ規模は戻ってきましたが、やはり警備は以前として厳しく。

安全が第一なので、仕方ないことですが、テロは「もし起こったら」ではなく

「いつ起こるか」の国ならではだな、と思います。

 

小さい子供を連れて行くのも楽しめますが、テロじゃなくても何か起こった時に

カブックと赤ちゃんを連れて走るのは至難の技。

子供が産まれてからは行っていません。

それにカブキは一緒に行っても、大きな音や人だかりが好きじゃないので

楽しめないし、置いて行くのは可哀想だし......

 

と、いうことで、今年はこの期間、ミラノに行くことにしました。

ちょうど1日〜9日まで開催される職人フェアのARTIGIANO IN FIERA

ずっと行きたいと思っていたのでこのチャンスを逃がすまい!!と。

フランスよりキリスト教食が強く、信仰心も厚いイタリアなので、

クリスマス市も楽しみ💗

 

そして何より私が盛り上がっているのは「犬グッツ」!

イタリアでは中型大型犬のお洋服やグッツも揃っていることが多く、

パリよりずっと素敵でオシャレなお店が多いと思います。

ふらっと歩いていると犬グッツのお店を見つけることが多いイタリア。

「万が一 何かあった時の為に」と実家の母が持たせてくれている

魔法のカードを持って、「素敵過ぎるものに出会ってしまう万が一」に

備えようと思います😏

 

イタリアはカブキの出身地でもある上、

とにかくイタリア人はフランス人以上に大の犬好き

お店やレストラン、ホテルとかも入れる場所はフランスよりも断然多いです。

 

以前ミラノに行った時、ちょっとおしゃれで予約が取りにくいといわれている

レストランで食事をする機会がありました。

私たちがカブキと一緒に入ると、いかにもブルジョワという感じの

20代くらいのイタリア女子二人とちょっと年上の紳士がお食事をしていました。

一人の女の子がウェイターさんにカブキを指差し、怪訝そうな顔をして

何かを言いました。

きっと犬の側に座りたくない、とかそんなんだろうな、と想像したのですが....

 

ウェイターさんは肩をすくめ、周りを見渡し、彼女たちが座ってるところより

明らかに場所が悪いテーブルを指差し、あそこなら空いてるけれど、

移りたいならどうぞ、と言ってるようで、女の子は納得いかない顔をしながら

ぶつくさ言いながらみんなで移動していました。

 

その方々はもうお食事をしている最中で私たちは座ったばかりなのに、

犬がこんなに当然 お客として扱われるイタリア💓

 

イタリアではどこの街を歩いてもカブキは"BELLO" (素敵、綺麗などの褒め言葉)
と色んな人に連発してもらえ、撫ぜに来る方、写真を撮りに来る方、

なんだか「特別な犬」を連れてるような気分に。

(私たちにはもちろん特別なんですが♬)


イタリア万歳!イタリア最高!!!

さて、この12月。

1日土曜日に始まり、5回の土曜日、5回の日曜日、5回の月曜日があるそうです。

本当かどうか分からないのですが、823年に一度の12月だとか?!

(違うらしいよ、という声もあるのですが・・・・823年ってちょっと長過ぎる

ようにも思うなぁ・・・・・)

金運に恵まれる月、といわれているそうです。

 

カブックのお誕生日とかで、ちょっとLOTOや宝くじ買ってみようかしら??

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ヨーロッパは夏!といわれますが、私はどの国でも寒く空気の透き通った冬も好きです。

 

フランス犬生活の始まりPart5 イントロ最終章 〜 名付けは楽しく、悩ましく〜

時間は前後してしまいますが、ロメオくんの名前。

とりあえず「イタリアからの保護犬、ロメオです」の響きは、

あまりにもクリシェ、陳腐な感じだよね..... とロメオは変える事は一致していました。

一時里親さんからは「変えるなら同じような名前、もしくは最後はオの響きに

なる方が混乱しなくていいと思うわ」と言われてました。

 

ヌヌースさんはせっかくだから日本っぽい名前にしたい、という事で考えたのですが

ポチって顔じゃないし、ヤマトやムサシとかだと、漫画好きのフランス人が

何か勘違いしそうだし(フランスでの日本の漫画はものすごい人気です)

うーんと思っていたところ、ちょうど故・市川團十郎さんのネット記事が

目に入りました。

あ、「カブキ」ってよくない???

よく見たら、なんか隈取みたいな感じだし、この黒い部分。
じゃぁ、シチリア出身ということもあるし、ゴッドファーザーにちなんで

DON KABUKIにしよう!

 

ということで、ドン・カブキが誕生いたしました。
普段はカブキ、カブックと呼んでいますが、日本好きな人は喜んで食いついて来ます。

知らない人は、どういう意味なの??と聞いて来て、会話が広がります。

 

私ははっきり言うと、フランスに来たくて来たわけではありません。

海外生活が長いのですが、多くの国籍の友達とみんなで一緒に会って交流しても

フランス人は英語が分かるのにずっとフランス語で話し続けたり、

フランス語が分からない人がいても遠慮なしにずっとフランス語で話したり、

という状況が幾度となくあり、私にとっては

「個人個人、とても仲良い友達だけれど、グループになると好きじゃない」

というのがフランス人に対する印象でした。

(しかも私はフランス人の彼もいて、その前からフランス人の友達も多くいました)

 

フランスにしばらく住むとなった時「グループになると好きじゃない」

どころじゃないし..... とかなり悲観に暮れ、なんだったら本気でヌヌースさんと

別れようかとも思ったくらい、そのくらい嫌でした。

 

その上、冬からここの生活を始めてしまったので(Part 1をご覧ください)

今までの印象は更なる確証に変わり、私の会った人だけじゃなく

国民性でこんなイヤな人たちなのね〜、とブツクサ。

相当な時間を「いつこの国を出られるのか.....」と勿体無い過ごし方をしました。

 

でも、カブキが来てからは一変。

絶対にお散歩に出なきゃいけない。お散歩に出ると、最低 1回、ほぼ数回

必ず誰かが話しかけて来たり、「素敵な犬ね」とか「なんの犬種?」と

始まり、あなたはどこから来たの?どうして来たの?など、私にまで話が

及びます。

拙いフランス語でも、英語が話せる人は英語で、日本語を勉強してる人は

喜んで日本語を話しかけて来てくれ、「犬好き」という共通点で一気に

親しくなるのです。

 

実際 道で話したり、散歩で何度も会って友達になっていった人も何人もいます。

元々 話し好きで来る者拒まず的な性格もありますが、ヌヌースさんより

全然多くのお友達を私は作ることができました。

この国、悪くないな、フランス人も楽しい人もいっぱいいるな、と思えるように

なっていったのは、カブキのおかげです。

 

保護犬、とは言いますが、保護されたのは私の後ろ向きで閉じた心だった、

と今でも思っています。

それは実家で引き取ったアンジーも同じです。

人間を警戒して心を開くまで時間がかかりましたが、最後の最後まで

色んなことを教えてくれました。

 

もちろん子犬から飼う可愛さというのは、どの動物でも否定できない喜びは

あると思います。

でも保護犬を家族に迎え入れる、それは自分にとってもとても大きな変化や

喜びをもたらしてくれる、一方通行の人間の善意ではない、ということ、

とっても素晴らしい犬たちが、たくさんたくさんいる中 人間の勝手で

何百万匹という犬が殺処分されていく現実。

 

一人でも多くの人が、買うのではなく飼うこと。

それはまず保護犬から選んで、一緒に成長して変わっていける楽しみを

選んぶのが自然で当たり前の選択になっていくこと。

 

いつかそんな風になるといいな、と私は思っています。

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野良犬だった時はどうやって寝て食べてたのかな、というくらい寝る場所食べる物にうるさい子に育っています。

 

フランス犬生活の始まりPart4 〜 NO ソファー、NO ベッド、NO 寝室 〜

うちの実家で犬が好き勝手ソファーやベッドに乗る様子を見てきたヌヌースさん。

(ソファーもベッドもワンのもの!と母親が断言していたので)

喩え一軒家であっても外で飼うオプションはない、と言い続けている私。

アパートで暮らす私たちに、ヌヌースさんの提示して来たルールは

 

1ーソファーや椅子など、家の家具には乗せない

 

2ーベッドには乗せないし、寝室は入っちゃいけない部屋とする

 

お友達を家に呼んでアペロをすることも多いフランス。

実家のように、ソファーに座ったら最後、お客様がお帰りになる時には

粘着力の強いガムテープを渡しして、みんなでペタペタ犬の毛取り..... 

** アペロ=アペリティフ=食前酒、という訳になりますが、一緒にお酒を飲みながらレストランまでの時間を待ったりする、という解釈より、家で飲みながら話して、そのまま簡単な夕食を出して食べる... という方が多いです。むしろアペロに出てくるパンにチーズにパテにソシソンでお腹いっぱいになることも多いのです**

 

そんな事態を避けるのは悪くないわ、と賛成していました。

リビングの奥の隅に、安心できるようにちょっと狭目に。

でも不安なロメオ君が泣き続けるので、ヌヌースさんは一週間近く

その横で寝ていました。

 

私のヒーローであるカリスマ・ドッグトレーナー、シーザー・ミラン

「家の中でルールを決める事で、誰がボスなのかを犬が理解する事で、

ボスである人間への信頼も強まり、お互いが幸せな関係を築ける」

と言っていたので、よしよし....と思っていました。

 

その2ヶ月後、日本とパリから私の友人が、そしてヌヌースさんのお姉さん一家が

同時に来ることになった週末。

お姉さん一家は私たちの寝室に、お友達はスペアベッドルームに、

私たちはリビングで一緒に寝ることに。

でも一緒に寝るとなると、やはり近づいて近づいて来るのがワンコ。

すぐ側に来ているので、可愛さ余って自分の布団の中に。

 

これが今も私たちのベッドに続く「動く場所取り湯たんぽ、でも冷めないよ」

の始まりでした。

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安心できるように周りを囲む感じでベッドを

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最初の頃は一応ソファーすぐ側でも床で寝ていたコ


 

 

 

老犬介護記録 〜「介護をした」より「犬への恩を返した」〜

実家では5匹のワンたちと過ごしたました。2匹ずつ重なっていた時期が多いのですが、介護まで行き着いたのは最後の2匹、埼玉からの保護犬・アンジーことアンジェリック。そして両親が「最後の犬」として選んだボクサー犬・ヴィヴィことヴィヴィアンヌ。

 

アンジーは、その前の犬、ゴールデンレトリーバーのクリスティーヌを突然亡くし、ペットロスに陥った母親と、やはり犬がいないと寂しくて仕方ない家族で子犬からは飼えないという母親の訴えから、初めてになる保護犬として迎え入れた子です。実家のある北海道でも良かったのですが、インターネットで調べてた所「緊急」というマークがついて出て来ていたので連絡しました。埼玉の保護団体だったのですが、必ず実際に犬会うこと、そして団体側が私たちの面接をすること、という条件だったので、私が埼玉に飛んで面接に行くことになりました。

 

イングリッシュセッターのミックスだと思うと言われたこの子は、少し薄茶色のある子でしたが、一見すると真っ白。雪の中では見えなくなる子でした。埼玉は狩猟が多いらしく、この子は狩猟犬に使われていたのを歳を取ったから、と理由で捨てられたのだろう、と言われました。針金で山の中に木に繋がれていたようです。それを自分でどうにか抜け出したのか、誰かが外してくれたのか。どちらにせよ顔には針金で傷ついた深い傷がいくつもあり、そこは私たちの家で過ごした後も毛が生えて来ることはありませんでした。団体では獣医さんが見てくれて、3歳くらいだと言われて引き取りましたが、実際は最低7歳、それより上だと思う、と獣医大学教授に言われました。クリスは8歳でなくしたので、母親は大ショックを受けていましたが、アンジーはそれでも長く私たちといてくれました。最後 亡くなる前 一年半ほど寝たきりだったのですが、その際 獣医さんに「きっと今で17歳くらいのはず」と言われました。

 

ヴィヴィは子犬から来ましたが、アンジーがいてくれたおかげでとても幸せに母犬や兄弟犬から離れても寂し過ぎる思いをせずに幸せに過ごしました。アンジーがいなくなって、どれだけ寂しかったろうか、、、と思います。ヴィヴィは2009年の夏に癌が見つかり、その時点でもう9歳だったので、アグレッシブな癌である事に加えて、手術も大変だったのですが、かかりつけの素晴らしい獣医師のおかげで元気になりました。その後、手作り漢方食、そして鹿肉、サプリなどを食べ、足腰は弱っても元気になりました。

 

先生が東京まで行って犬の漢方をお勉強されていて、お灸や鍼治療をしてくださったため、子犬の頃からかなりの運動と、ベッドやソファーの飛び降り、飛び乗りをさせてしまていたのですが、13歳過ぎても弱っても自力で歩けるスーパーガール!

 

私たちが介護で役立ったと思うグッツや、手作り漢方食のレシピ、その他、色々試して来たことのオススメや不安点などを綴っていきたいと思います。

 

介護をした、というより、私はこの子たちがくれた幸せと喜び、何があっても誰を非難するわけでもなく、いつも側にいてくれたこの子たちへ「恩を少し返した」時間だと思っています。それでも海外や道外に離れて暮らしている私や兄弟に代わって、毎日 殆どの時間を介護に費す両親、特に母親には感謝です。

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アンジーと子犬のヴィヴィ。いつもアンジーの側を陣取りつつ、アンジーが撫ぜられると無理やり間に入って来る「私が一番!」

 

フランス犬生活の始まりPart3 〜え、こんな簡単に家族を決めちゃっていいの?〜

毎日 仕事場でもお昼休みに、そして夜もパソコンで探していたヌヌースさん。ある日、「今日の午後 早退するから犬を見に行こうよ。5歳の犬だって」と携帯にメッセージ。おぉぉぉ!!!とワクワク気分で行きました。

小さな団体のホームページをいくつか見て、私たちの住むリヨン近郊で絞って見つけたそうです。訪ねに行ったお家は、自分の犬が欲しいけれど、犬を助けたい。だから1匹は自分の犬、もう1匹は里親が見つかるまでの子、とお世話されている方でした。彼氏と別れてから男は信用ならないけれど、犬は裏切らない!と、アムールの国フランス女性らしからぬ発言でしたが、「そうね、そうね、絶対そうよね〜〜」と全てを訳すヌヌースさんをガン無視で賛同しておきました。

 

5歳のその子は、真っ白な子でとても懐っこく、すぐに飛びついて来ました。なんのミックスかは分からないけれど、飼い主の方が亡くなって保護された、という話だったと記憶しています。虐待されていたわけではないけれど、5歳という年齢で引き取り手が簡単じゃないの、と言っていました。その方は、ダメって分かってるけれど一緒に寝ちゃってるのよ〜。でも1匹でも寝れるわよ〜とオススメ。でもその小さな団体の代表のような方はゴリゴリ押して来ましたが、実際に預かってる方はまだまだ実は手放したくなさそうだな〜〜と思うくらい可愛がっていたので、なんだかほっこり気分になりました。私は基本どんな犬でも好きなので、その子でも良かったですが、「可愛いと思うなら、この子にする?」と聞いてきたヌヌースさんの「私が良ければどの子でも」と思っている感がどうしても否めず、とりあえず何匹か見た上でヌヌースさんの反応と気持ちで決めようと思い、その場では「考えさせてください」とお答えしました。

 

もう一つ私の中での不安は、その子がダックスフンドのように胴が長く脚が短かった事でした。その当時築150年のヨーロッパならでは!という感じの古い建物に住んでおり、石でツルツル、場所によっては凹んでる階段を登らなきゃいけなかったので、この子の背骨に良くないのでは.....と思う気持ちがどうしても私の中であったからです。実家で飼っていた子たちも、年を重ねるごとやはり「滑る床・階段は良くない」というのは目に見えて分かっていたので、後から痛い思いをさせたくない、という気持ちもあって保留を選びました。

 

フランス人はその場で決めるのか分かりませんが、向こうは「え、そんな階段なんて大丈夫よ!だって毎日ベッドにも上ってるし」と色々言ってきて、"NOW OR NEVER"的な推し。ちょっとびっくりしつつ、彼は初めてなので、もう少しだけ余裕をください、とお話ししてそこを後にしました。代表の方は、階段なんて大丈夫なのに、とずっと仰っていましたが、里親のおばさまはちょっと嬉しそうだった気がします。まだ手放すのはのは寂しかったのでしょうね。

 

その数日後だったでしょうか。仕事から戻ったヌヌースさんが「明日の午後17時にグルノーブルに犬を見に行くよ」と言ったのですが、明らかに今までよりちょっと盛り上がってる雰囲気。「すごく可愛い犬だよ」と。お、これはやはりいいんじゃない??物件探しのように、色々見つつ、自分の好きなタイプとか好みが分かってきてヒットした感じ?と私もワクワク。いま見せるよ、とパソコンを開いて見せてくれた写真。タイトルをつけるなら「アジアの路上で寝てる野良犬1」というくらい私には「よく見る感じ」だったのですが、ここではそうでもないらしく、ワクワク感が明らかに違うヌヌースさん。アジアでモテるアジア女子と欧米でモテるアジア女子のタイプが違うのと同じ感じ?「できるだけ引き取り手のない老犬を」と言っていたのですが、ヌヌースさんが「この子はまだ8ヶ月なんだけれど、とても気に入ったので見に行きたい」と言うのでもちろんと承諾して行きました。

 

リヨンからグルノーブルは1時間強かかるのですが、そこはグルノーブルの郊外、一軒家が立ち並ぶ中、フロント・バックヤードとある二階建てのお家でした。ヌヌースさんが見つけたこの団体は『Association Liberté sans Frontière 』日本語訳すると「国境なき自由団」とでもなりましょうか。(ソン フロンティエール、国境なき医師団とかの「国境なき」の部分です)ローヌ・アルプ県のアソシエーションですが、フランス全土とスイスでの受け入れ先を認めています。ここの団体の方から、イタリアとルーマニアでは野良犬が多すぎて国内で処理しきれず、フランスやドイツの犬保護団体が動いて引き受けてる事、スペインでは動物愛護法がとんでもなく適当すぎて狩猟に使われる犬たちが虐待されたり若くして殺されている(木に吊るされる、海に投げ入れられる、など当たり前のようにあるようです・・・・)ので、その保護に動いている、と聞きました。現にスペインから保護されてくる犬は大半が狩猟に使われるガルゴ・エスパニョール(スパニッシュ・グレイハウンド)で、この子たち専門の保護団体もいくつも存在するくらいです。

そのお宅には犬種は忘れてしまったのですが大型プードルみたいな子が2匹、小型犬が1匹、猫が2匹いて、その他に2匹保護犬がいました。「保護犬が人間だけに慣れても意味がないので、他の犬や猫と慣れる事も重要なのよ」と仰っていた通り、他の犬たちと喜んでお庭を走り回っていました。猫は完全に犬たちをガン無視でしたが..... すぐ近くに住んでいるという同じ団体の女性も、同じ時に来た女の子を連れて来ていましたが、どの子たちも仲良く遊んでいました。シチリア島で保護された犬たちを今回 団体で受け入れ、数人で分けて里親待ちをしていました。

1月末に来たばかりで、犬は大丈夫なんだけれど人間は少し時間が必要なのよ、と言って呼んだその子は「ロメオ」 私たちを警戒してるのか後ろの方から頭を下げてとぼとぼと怖がった様子でマダムに近寄って行きました。第一印象は「とても人間に怯えた子」で、何があったんだろう、と私は思いましたが、ヌヌースさんは「僕はこの顔、すっごい可愛いと思う。フランスで見ない感じ」と言うと、周りみんなが「そうなのよ、可愛いわよね〜〜」と大はしゃぎ。私は心の中で「日本で保護待ちのワンコたちはヨーロッパでチャンスが大いにありそう・・・」と本気で思うほど「良くいる雑種な感じ」だったのですが、でも怯える中にもどこか愛嬌があって可愛かったです。今で8ヶ月くらい。後、少し大きくなるかもしれないけれど、これが成犬サイズと言われ、小さくも大きくもない(小さい中型犬くらい)、細いなぁ、という子で、ヌヌースさんは「サイズもこれがいいよ!小さより大きい方がいいけれど、大き過ぎなくてアパートでも大丈夫!」と。そうだね、可愛いね、と話すと「じゃぁ、この子にします」とヌヌースさん。

 

早っ!もう決めるの??と思いましたが、でもその気に入りようは、これはきっと可愛がってくれるだろうなと確信できるものでした。人間の赤ちゃんでも私は同じなのですが、可愛いと思っても、やはり別の生き物。個性も感情もある。お互いを知り合って理解していく上で、家族になって関係を築いていくもの、と私は思っています。でもやはり第一印象が良い=スタートが良い、に越したことはなく、初めての犬をザ・仔犬から飼わないヌヌースさんにはぴったりだと思い私も同意しました。

するとマダムが当たり前のように「リードやクッションとか必要なものは全部揃ってる?」と。

 

??!!!え、だって今 10分くらい前に来たばかりよ??!!揃ってるわけないじゃん??!まずは会わせてね、ってことだったよね??

 

ヌヌースさん「近くに犬用品買えるお店ありますか?買って来ます。」 

 

はい??今 買いに行くの?ってことは、今日連れて帰るの??しかも、この後 グルノーブルの友達が新しい彼氏紹介したいって彼氏の家でご飯ご馳走してもらうことになってるのに?!!

 

私が「家の準備何もないのに?」とヌヌースさんに言うと、「だから買いに行くんじゃん。またここに戻ってくる意味とかなくない?」と言われ.... いや、もちろん嬉しいけれど、まさかその場で決めると思ってなくて.... と言いながら、同時に「また戻ってくる意味」=「待つ意味」は何か?考え直すことでも、他の子を探すことでもないし、2ヶ月の仔犬でもないので、すぐに普通に育てて大丈夫!と、「よし、行こう!」とすぐに自分の言葉をかき消すように言って出かけて行ったのを覚えています。そのロメオと呼ばれる子は、また他のワンたちに混じってすごいスピードで走り回っていました。もう1匹、ロメオと一緒にシチリアから来た女の子を連れて来ていたマダムは「うちのこは?どうせなら2匹もおなじよ!」とか笑って言っていましたが、冗談半分とはこのことで、その後 そこを去るまで5回ほど言われました ^^; でも「可愛がってくれるだろう」と思ってくれたのはありがたいです。

20分くらい離れたホームセンターにとりあえず今 必要な餌とお水のボウル、そして大きなベッド用のクッション、首輪にリードを買って戻りました。この子の性格が分かったら、もっと素敵なものを買ってあげよう!と思いながらこの家に戻りました。その時はもう「え?こんな早くに??」ではなく、「わーーーーー!私のワンが来るぅ❣️」の興奮と喜びだけでこの家のフロントヤードのドアを開けました。

 

イタリアから来たから「ロメオ」 名前は変えてもいいけれど、できれば同じような音のがいいんじゃない?と言われましたが、いかにも過ぎるね、、、、名前は変えようともう決めてしまっていました。茶色のベースに黒と白が混ざった個性的な顔。走り回って楽しさマックス以外の時はいつも困り顔。"Mon garçon"(モン ギャルソン、私の男の子)は、私たちが無理やり家族に引き入れた子。ずっと実家の犬しか飼えなかったので、こうしてフランスで家族である犬を増やせてとても嬉しかったです。マダムは娘さんに「ロメオが新しい家族の元に行くの。さようならを言いに来て」というと、娘さんは降りて来て、ロメオを抱きしめて頭にキスをして"Au revoir, Roméo. Bon chance"(さようなら、ロメオ。頑張ってね)と言ってすぐに上に行ってしまいました。可愛がってくれていたようで、何と無く寂しそうで、私も少し寂しくなりました。

2011年3月25日。車の後部席に乗せて、お友達が仕事が終わるまで公園で過ごすためにグルノーブルへ。これがヌヌースさんの即決でカップルから家族になった私たちでした。〜Part 4へ続く〜

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不安そうに外を覗く様子。その後 色んな所へ旅をした車の初ライド。

 

 

フランス犬生活の始まりPart 2 〜外国人は信用できないから譲渡しない?!〜

仔犬は可愛い。

躾もしやすいし、初めて犬を飼う人も、仔犬の時からのトイレトレーニングや

自分の生活スタイルや性格に合いやすい犬を選ぶ事もできる。

 

でも私は「保護犬」と決めていました。

もう一つは「できるだけ引き取り手が少ない犬」の方にしよう、と。

その上で、犬好きで子供の頃から犬を飼ってきた私より、

一度も犬を飼った事がないヌヌースさんの希望を聞くという姿勢でいました。

ヌヌースさんは「好きなように選んでくれたらいいよ」と言いましたが、

「私の犬」ではなく「家族」として迎えるのだから、

一緒に選ぶという事を大事にしようという事で一致、探す事になりました。

フランスには保護団体はたくさんありますが、その中でも一番有名でメジャーなのは

SOCIETE PROTECTRICE DES ANIMAUX、略してSPA(エスペーアー)。

フランス全土にあり、犬猫だけではなく馬から鶏からヤギなどもいます。

見に行って選ぶとなると、全部引き取りたくなる.....1匹だけ選ぶのは...と思う

気持ち反面、家族として迎えるのだからここは覚悟を持とう!

と自分の中での葛藤と戦いながら私たちの住む街のSPAに行きました。

 

鶏やロバの横を通って犬の鳴き声がするシェルターが見えつつ、

ワクワクと不安と両方ごった返しながらも期待マックスで受付に。

そこには数人いましたが、50代くらいのマダムが私たちの対応をしてくれました。


してくれました、と書きましたが、まぁ、この方、もう私たちに浴びせる目線から


「私たちは素晴らしいことをしている感」満載。

あなた方より高貴な人間なのよ、と言わんばかりの話ぶり。

その頃はフランスについて2、3ヶ月、フランス語もそんなにできない時期なので、

仰ったこと全て理解できてるわけではありませんが、とにかく傲慢な上から目線。

もう喩えるなら、野村サッチーです。

でも人間の勝手で捨てられた動物達のお世話を完全ボランティア

(獣医さんや看護士さんとか手当が出る方もいるようです)なら、

きっと警戒してしまうのは仕方ないのか、と思いつつ、私の嫌いなタイプ

ドスライクのこのマダムを「動物愛護なんだから、犬可愛がってるのだから」と

自分に言い聞かせながら、営業職で培った作り笑顔で頑張りました。

 

私は分かるけれど答えられないので英語でヌヌースさんに、それをヌヌースさんが

フランス語で話す、という形でした。

犬を家族として迎え入れたいこと

あまり引き取り手のない子を希望していること

大型犬は私はなれているけれども、アパート暮らしなので可哀想だし

無責任なことはしたくないこと

ヌヌースさんは犬と暮らすのは初めてなので、出来る限りトラウマが少なければありがたい、

 

などなど、ヌヌースがどういう犬を?と聞かれた質問に返答している最中、

突然 話を遮るようにマダムが私をギロッと睨み

「あなた、フランス語は話せないの?」

私は「少し話せます。でも来たばかりで」と笑顔で返すと、間髪入れずに

 

「これからずっと一生フランスで暮らすの?」 

 

ヌヌースさんと顔を見合わせて、

「私たちはこれからもフランス国外へ移動する可能性はあります。」と正直に話すと

 

「じゃぁ、お譲りできません。厳密にいうと、どうしてもというなら犬を引き取る事は可能ですが、それはあなた方の家で"預かる"という形であって、その犬はずっと私たちSPAが飼い主ということになり、パスポートもお渡ししません。一切の権利は私たちに残ります」

 

??!!!それって家族として受け入れるんじゃゃなくて、

一時引き取り、里親決まるまで、みたいになるじゃん?!と困惑の私。

ここヨーロッパは陸続きなので、車や電車で色んな国に旅行ができます。

私たちはそのつもりだったし、万が一 国外に、というかフランス国内でも

この街から引越しになった時連れていけない?何それ???

言ってる意味と飼い主の登記が私たちにならない意図が分からない......

かなり眉間にしわを寄せて、営業スマイルは消え去り、明らかに不信感でいっぱいな

顔をしていたのだと思います。

 

「じゃぁ、旅行に行く際はどうするんですか?」とヌヌースさんが尋ねると

「その時は日程を言ってくれればパスポート貸し出すので、

フランスに戻り次第返しに来てください。私たちの犬なのだから」

...... なに仰っておりますの、奥さん?

この後、色々やりとりをしたのですが、マダムの言い分は変わらず。

 

「フランス人でも外国に行くとなると、絶対に連れて行くと言ってたのに

簡単に捨てて行く人が殆ど。どれだけの犬や猫が捨てられるか。

その時、私たちの犬じゃないとここに戻ってこない。

外国人であれば尚更外国に行く可能性が高いので、そのリスクは終えません」

と言われました。

 

「私は子供の頃から犬と育って来ました。犬は家族です。犬が病気になった、

新しい子が来た時、私も弟も、交代で仕事を辞めて看病や面倒を見に行きました。

犬を捨てて行くなんてあり得ません」と言ったところ、

 

「みんな、同じことを言っては結局、捨てて行くんです。」 

 

私たちが外国へ引っ越すとなった時、絶対に連れて行く証明として犬の飛行機のチケットなりを取った上で全て提出したとしてもダメ、ということでした。

いつもしか離れる時には「シェルターに戻さなきゃいけない」というあり得ない選択


私は「じゃぁ、結構です。ここからは保護しないです。」と言ったところ、

 

ほらね、やっぱりそうやって簡単に言う人は信用ならない


的なことを吐き捨てるように言いました。


ヌヌースさんは

「ずっと面倒を見て獣医に連れて行って虐待の記録もないとなれば、法廷に持ち込めば

きっとこっちが勝てるはずだよ」と言いましたが、

万が一 勝てなかったり長引いたりした時 置いて行くなんてオプションはないので、

もう始めからここは止める事にしました。


引き取れなかった悲しさと、なんであんな態度取られなきゃならないの?
という怒りと混ざって涙が出て来ましたが、

でもそれだけ多くの人が簡単に「心ある命」を手放す証拠でもあるのだな、

と叫び倒したい気持ちはグッと堪えました。

(でもあんな言い方しなくてもいいのに・・・。SPAのボランティアは自分の善行に酔っていて往々にして態度が悪いというのは結構よく聞く話でもあるのです)

ヌヌースさんにとっては「私がフランス人にキレて、いつ出て行ってもおかしくない

状況度」が更にアップ。

その日の夜から小さな団体や個人で犬を保護して里親を探している人を

探し始めました。

 

ちなみに、後から調べたところSPAに権利がある犬、ない犬というのがあるそうです。

 

SPAが飼い主として所有権利のある犬:道で見つけて保護された犬や虐待されて引き取られて来た犬の場合など


SPAに飼い主として所有権利のない犬:飼い主が犬を連れて来て、もう要らない、と「所有権」を放棄した犬 

だそうです。

 

権利がない、というわけではないのですが、後者に関しては、

はっきりと所有権が放棄されているため、保護を名乗り出て譲渡が決まった人たちが

スムーズに「飼い主になる」という権利が移行されるそうです。

 

その後もSPAから引き取った人たちに何人も会いましたが

「パスポートなんてなしで旅行してる」とか気にしてない人もいた中、

2012年から「3ヶ月のトライアル期間みたいなのを設けられて、

その後訪ねて来て犬が虐待されてないとか幸せに暮らしてると証明されれば、

所有権(あまり犬に使いたくない言葉ですね)を申請して自分に変更できるように

なったよ、とも聞きました。

 

さて、今でも続いているのか分かりませんが、

私たちのようにミックスカップルでも犬好きは多いのだから

「外国人だから信用ならない」と頭から言われないといいなぁ、と思います。
〜Part 3に続く〜

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お腹を向けて寝るのはリラックスの証拠?この格好は辛くないのだろうか・・・?

 

フランス犬生活の始まりPart 1 〜冬にヨーロッパ生活を始めてしまった失態〜

初めてフランスに来たのは22歳の時で、パリとマルセイユという王道を回りました。

留学して来ていた友達が地下鉄や車で案内してくれたので、ただ付いていくだけ。

行った場所は覚えていますが、どの路線でどう向かったのか、なども記憶になく、

よくパリ旅行で聞く問題なども何もなく、ただただ連れられるまま楽しく

過ごしました。

 

2回目にこの地に足を踏み入れたのは「住むため」でしたが、

まさかこんなに長く住むとは思ってもおらず・・・。

フランスに住むのは3年と言われて、泣く泣く充実した楽しい仕事をさせて

もらっていた中国を離れやって来ましたが、季節は「冬」。

後で知ることになるのですが、ヨーロッパ人のフレンドリーさは

「日照時間&気温」にモロに比例します。

絶対 新しい生活を始めちゃいけない季節でした・・・

 

12月はクリスマスだなんだ、とワイワイしていて、日曜日もデパートやお店が

空いてたりと、盛り上がる季節でもあるのは確かです。

でも2010年12月は西ヨーロッパでは記録的大雪でどこもかしこも閉鎖。

空港も電車も高速も止まり、みんなブチギレ状態。

やっとの思いで着いた住まいは150年前の素敵な建物だけれどエレベーターなし4階。

昔の建物なので、各階 天井まで3メートル越え。

それを考慮すると、普通のアパートの5階半から6階に相当します。

しかも石の階段ですり減ってるところもあり、調子に乗ってヒールでやって来た

私がスーツケースを持って上がるのはまさに「罰ゲーム」状態でした。

しかもがっつり寒い。

 

着いてすぐは「どれくらいいるか分からないけれど、いる間は思いっきり

楽しむよ!」なんてポジティブさアピールマックスなFACEBOOK投稿してましたが、

一週間で「帰りたい・・・」の状態に。

中国から運ばれて来たダンボールが山積みだけれど、アパートは1/3のサイズ。

どうやったらいいのか。。。

適当な性格もありますが全てきちんと片付けられるまで約3ヶ月かかりました・・・。

ただ!!街はどこを歩いても、どこに行っても、犬がいる。

フランス人がマリンシャツ着て、ベレー帽被って、アコーディオン弾いて、

フランスパンかじってる、のストレオタイプなイメージ。

マリンシャツは場所によって、フランスパン齧ってるは普通に毎日見かける、

でもそれ以外はパリや南仏の観光客向けパフォーマンスです。

しかし「犬がどこにでもいる」は真実。

いいな、羨ましいなぁ〜、持ち家まで我慢しなきゃいけないしなぁ、、、と

思って居ました。

 

が!しかし!私のフランス生活を変える情報を手にしたのです!!

こちらに数年前から住んで居た友達から


「フランスでは賃貸でペットを飼うことを禁止することが禁止されてる」

と聞き、調べたところ「真実」!!

当時はまだ彼であったヌヌースさんに

「このままだと気が狂う、犬がいたら絶対に違う!」と毎日騒ぎ立てたところ、

どうやら私が本当にフランスを離れかねないと思い、犬を飼う事を承諾。

私は保護犬に拘ったので、フランスで有名な動物保護団体を訪ねることになりました。Part 2につづく〜

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フルヴィエールの丘からリヨン一望の絶景スポット!で、一望せずに嫌々やらされてる感を惜しげも無く披露